つば九郎のこと

今までずっと書けなかったこと、そしてまだ書けないこと
長谷川晶一 2025.04.17
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2024年、ソフトバンクとの交流戦試合前に記念撮影。ホントに嬉しかったなぁ

2024年、ソフトバンクとの交流戦試合前に記念撮影。ホントに嬉しかったなぁ

ずっと考えがまとまらなかった。そして、今でも心の整理がついていない——

それが、つば九郎に対する率直な思いです。突然の知らせが舞い込んだあの日以来、多くの人々にとって胸がかきむしられたままの重苦しい心境。そんな状況がずっと続いているのではないでしょうか?

つば九郎担当スタッフの訃報が舞い込んですぐ、僕の下には「追悼原稿を書いてほしい」と依頼がきました。心の整理がついていなかった僕は「追悼文は書きたくない」と断りました。けれども、編集者から「つば九郎との思い出を書いてほしい」と言われ、「思い出なら書けるかもしれない」と、僕はその日の夜に文春オンライン、そしてスポルティーバと2本の原稿をまとめました。

この原稿の冒頭で、僕は「つば九郎が亡くなった——」と書いています。混乱の中で書いた原稿ですが、今となってはこの文章は適切ではなかったと考えています。冷静に考えれば、亡くなったのはつば九郎を支えてきたスタッフであり、つば九郎自身ではないからです。本来ならすぐに訂正すべきだったのかもしれませんが、このときの混乱状況を記録することにも意味があるのではないかと考え、そのままとなっています。一方、スポルティーバにはこんな文章を書きました。

2本目となるこの原稿では、少しは冷静さを取り戻したのでしょうか、ハッキリと「つば九郎の担当スタッフの訃報」と書いています。あの夜、混乱の中で書き上げた2本の原稿ですが、書き手である僕自身の心の揺れのようなものが、そこには表れています。

実はこの夜、僕はもう1本、つば九郎について別の文章を書いています。誰からの依頼を受けたわけでもないのに、気がつけばパソコンに向かってキーボードを叩いていました。それが、このニュースレターで配信した、こんな原稿です。

それは「ライターの内なる衝動」とでも言えばいいのでしょうか? 「仕事として」依頼された2本の原稿を執筆しつつ、それとは別に「個人として」さらに1本を書いたのでした。この3本の原稿、何も構想を持たず、ノープランで思いつくままに書いたものです。真夜中に一気に3本の文章を書くこと、しかも依頼もされていない原稿を書くことは異例です。改めて振り返れば、自分で思っていた以上に大きなショックを受けていたのかもしれません。

翌日以降、数誌の週刊誌から「つば九郎の死についてコメントを」という依頼がきました。その中には、お世話になっている媒体、編集者もありました。けれども、「つば九郎」についてではなく、「担当スタッフ」についてのコメントばかり求められたため、僕はすべての依頼をお断りしました。僕の中で、つば九郎の存在と担当スタッフの訃報がうまく繋がらなかったからです。

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