1984-2002・池山隆寛に思いを馳せる

『ベースボールマガジン』最新号は池山隆寛特集!
はせがわ 2025.08.05
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ほれぼれするほどカッコいい……

ほれぼれするほどカッコいい……

みなさんこんにちは。8連勝からの3連敗とはなりましたが、3日のタイガース戦には快勝。気持ちのいい週明けを迎えました。村上宗隆選手、長岡秀樹選手も戦線に復帰。青柳晃洋選手の入団も決まり、8月になっていいムードが漂っています(サンタナ選手の件は不問とする)。

さて、このニュースレター読者の年齢層、性別など、いわゆる「読者属性」がわからず、「あまり昔の話をするのはよくないのではないか?」とか、「最近の話ばかりではなく、もっと昔の話もした方がいいのか?」とか、手探り状態ではあるんですが、今回は80年代から00年代初頭についての話題を。

というのも、現在発売中の『ベースボールマガジン』は「池山隆寛とヤクルトスワローズ」という大特集が組まれているからです。表紙からしてすでにカッコいい。あの時代を知るファンにとっては、何とも懐かしく、何とも胸がときめくような美しい一本足打法が目を引きます。

この号で僕は、3本の企画に関わっています。

1.1992年と1993年の日本シリーズ 日本一への犠牲フライ

2.関根潤三監督はなぜ三振を怒らなかったのか?

3.文化人インタビュー

1.は、生前の野村克也氏に聞いた話を中心に、西武ライオンズ・森祇晶氏のコメント、もちろん池山さん本人の言葉を紹介しつつ、1993年第4戦の犠牲フライについてまとめた物語です。

たかが犠牲フライではなく、この一打には多くのドラマが詰まっています。この2年間の日本シリーズを描いた拙著『詰むや、詰まざるや』でも描きましたが、本当に野球の醍醐味がふんだんに盛り込まれた名シーンの裏側を検証しました。

2.は、こちらも生前の関根潤三氏へのインタビューを基に「1987~1989年の池山」についてまとめました。当時の取材音源を聞きながらまとめましたが、生前の関根さんの言葉は実に温かく、聞いていて涙が滲むような優しい気持ちになりました。

そして、3.は、「文化人インタビュー」と題されていますが、僕が原稿を書いたのではなく、編集長から「池山について語ってほしい」との依頼を受けて、僕がインタビューに答えたものをまとめています。

当初、某氏との対談の予定だったんですが、結果的に「長谷川さん単独で」ということになり、こういう形となりました。僕には荷の重いオファーではありましたが、神宮球場に向かう前の2時間半ほど、「ひたすら池山について語る」という貴重な経験となりました。

誌面を見て、驚きました。そこには、こんな見出しが躍っていました。

「僕にとっての『長嶋茂雄』が池山隆寛だったんです」

そうです、確かにインタビューで、僕はそう言いました。でも、改めて誌面において視覚に飛び込んでくると、「なるほど、確かにそうだよなぁ」と自分でも再認識しました。実は僕は、普段から「池山はオレにとっての長嶋だ」と考えたことはありませんでした

編集長との会話の中で、ふと出た言葉がコレでした。さらに、自分でも驚いたのが、池山選手の現役生活を『シンゴジラ』の形態変化になぞらえた発言をしたことでした。

第一形態・1980年代……関根潤三監督時代

第二形態・1990年代……野村克也監督時代

第三形態・2000年代……若松勉監督時代

80年代のスター街道を駆け上っていくまぶしい時期を経て、「野村ID野球」の下、選手としての円熟期を迎えた90年代。そして、後輩の宮本慎也選手、岩村明憲選手にレギュラーの座を奪われ、満身創痍の状態でありながら、チームのために献身的にムードメーカーとして戦った00年代

そのいずれの姿も、本当にカッコよかった。特に自分が50代を迎えた今、「第三形態」を迎えた00年代の池山隆寛は本当に立派だったと、改めて思います。

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