さらば、「後輩」・長谷川宙輝!

寂しくて切なくて、いろいろな思いがよぎる……。そんな時期がやってきた。なかなか、ニュースレターを配信する気分になれなかった。
29日、東京ヤクルトスワローズ球団は6選手の戦力外通告を発表した。
それぞれにそれぞれの思い出があり、それぞれの名場面が浮かんでくる。志半ばでチームを去る者もいれば、期待されて移籍したものの、結果を残すことができずにスワローズのユニフォームを脱ぐ者もいる。
今回発表された6選手の名前を見て、最初に浮かんだのが、2022年5月24日「田口麗斗の20球」だった。本当に最高だった。しびれた。
改めてこの映像を見ると、「そうか、この頃はまだ入場制限下だったんだな」と気づく。この日は村上宗隆、翌日は山崎晃太朗のサヨナラ弾が飛び出した。この年の交流戦は本当に強かった。それもこれも、交流戦初戦で見せた「田口の20球」がもたらした勢いだったと思う。
2021年シーズン途中での中継ぎ転向でチームは一気に優勝をたぐり寄せ、2022年の連覇も、田口の左腕がもたらしたものだった。廣岡大志がチームを去ることは寂しかったけど、代わりに田口がもたらしてくれたものは本当に大きかった。MLBを目標に、NPBはもちろん、韓国、台湾も視野に入れているという記事を読んだ。まだまだ投げてほしい。本当にどうもありがとうございました。
続いてしみじみと感じ入ってしまったのが、長谷川宙輝だ。記事の中に「長谷川」の文字を見つけた瞬間、胸が苦しくなった。覚悟をしていなかったわけではなかったけれど、いざ現実となると、とても平静ではいられなかった。
忘れられないのが、彼にとっての移籍後初登板である、2020年6月19日の試合。コロナ禍のため無観客で行われたこの年の開幕戦だ。
この日僕は、向かいにある日本青年館ホテルに泊まった。自室から双眼鏡を片手に、少し遅れて流れるDAZNを横目に、この試合を観戦した。このとき、こんな記事を書いた。
前述したように、この日、長谷川宙輝はプロ初登板をはたしている。それはスワローズファン歴40年(当時)の僕にとって、初めて「ヤクルトの長谷川」を目撃した瞬間だった。それまで、スワローズに「長谷川」という選手はいなかった。長谷川宙輝が第一号だったのである。このコラムの中で、僕はこんなことを書いている。
生観戦の醍醐味として、「自分の見たいところがいつでも見られる」ということがある。僕はブルペンを見るのが好きなのだが、この日の個人的なクライマックスは20時過ぎに訪れた。
一塁側ブルペンでは背番号「90」をつけた長谷川宙輝が黙々と投げ続けている。ヤクルトファンになって40年。子どもの頃から「自分と同姓の選手がヤクルトにいればいいなぁ」と思い続けてきた。
苦節40年、子どもじみた願望がついにかなった。しかも、実力派の剛腕サウスポーだ。好きにならずにいられない。
そして20:15、昨年まではソフトバンクの育成選手で、移籍したヤクルトで今年から支配下登録された長谷川が登場する。場内に響き渡る「ピッチャー、長谷川。背番号「90」のアナウンス。40年間の夢が叶った瞬間だった。
結果的に2/3イニングを投げて1失点だったが、長谷川のプロ第一歩をこの目で見届けたことは誇りたい。
ここに書いた思いは、あれから6年が経過した今も何も変わっていない。プロ野球選手としての第一歩を僕はこの目で見た。公式的には「無観客試合」ではあったけれど、間違いなく僕は画面を通じてではなく、この肉眼で長谷川宙輝のプロ第1球を見た。決して「無観客」ではなかった。
この年の6月25日、彼はプロ初勝利を挙げた。このときベースボール・マガジン社から発売された100名限定の直筆サインボール、サイン写真はもちろん即購入し、今でも大切に保管している。シリアルナンバー入りなのだが、それぞれ「7/100」「5/100」とひとケタだ。発売直後に購入した証である。

ベースボール・マガジン社発売の「プロ初勝利直筆サイン入り記念写真」
髙津臣吾監督就任1年目のこの年、チームは最下位に沈んだけれど、そんなことはどうでもよかった。僕にとっての2020年シーズンは「長谷川宙輝の2020年」として記憶されることになった。
以降、気がつけばすでに6年が経過していた。故障に泣かされ、苦しい日々だったと思う。残念だけれど、プロ初勝利を挙げた際に描いた輝かしい未来は訪れなかった。それでも、長谷川宙輝という選手がスワローズにいたこと。73試合も投げて3つの勝ち星をプレゼントしてくれたこと。懸命に左腕を振っていたこと。その姿は決して忘れない。


