神宮球場で最も勝った男、最も打った男(1)

明治神宮球場100周年、『神宮球場100年物語』その1・石川雅規と松岡弘
はせがわ 2026.01.04
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新年あけましておめでとうございます。ニュースレターがスタートして、初めてのお正月となりました。今年も、変わらぬご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

さて、今年は明治神宮球場100周年の節目の年です。昨年僕は、『神宮球場100年物語』(朝日新聞出版)という本を出版しました。2032年には新たな神宮球場が誕生します。現在の球場は取り壊しが決定しています。「少しでも、現在の神宮球場を記録に残しておきたい」との思いが発端となって執筆した、とても思い入れのある一冊となりました。

この本には、神宮球場にゆかりのあるさまざまな人が登場しますが、その第四章は「神宮球場で最も勝った男、最も打った男」と題して、石川雅規投手、そして池山隆寛新監督(刊行時は二軍監督)が登場します。

そこで、新春一発目の配信は、この第四章を、今日と明日の2回に分けてお届けしたいと思います。それではどうぞご覧ください。

***

神宮球場で最も勝った男と、最も打った男は?

 日本野球機構(NPB)の公式ホームページには「12球団本拠地球場」というコーナーがあり、「神宮」を見ると、そこにはさまざまなデータが並んでいる。

 ここ数年、開幕前になるとこの欄を見るのが恒例となっている。ここには神宮球場での「個人通算勝利」「個人通算セーブ」「個人通算本塁打」「個人通算安打」など、神宮球場で躍動した選手たちの輝かしい記録が一覧形式で表示されている。

 2024(令和6)年開幕時点には、こんな記述がある。

【個人通算勝利】

 91勝 松岡弘  アトムズ(5勝)、ヤクルト(86勝)

 91勝 石川雅規 ヤクルト(91勝)

【個人通算本塁打】

 167本 池山隆寛 ヤクルト(167本)

 156本 山田哲人 ヤクルト(156本)

 投手の「個人通算勝利」では、ヤクルトのレジェンド・松岡弘と、現役の石川雅規がともに91勝で並んでいる。ちなみに、国鉄スワローズ時代に353勝を記録した史上空前の400勝投手、金田正一がランクインしていないのは、当時のスワローズはまだ神宮球場を本拠地としておらず、彼は主に後楽園球場で白星を稼いでいたためである。

 一方の「個人通算本塁打」では、24年シーズンは二軍監督を務めた「ブンブン丸」池山隆寛が167本塁打で歴代トップだが、それを現役の「ミスタースワローズ」山田哲人が156本で追っている。その差は11本だ。

 石川も山田も、現役選手である。「今年こそ、トップが入れ替わるのではないか?」と、ワクワクしながらこのリストを眺めるのが、球春到来を目前に控えた私にとっての至福の時間なのだ。

 ちなみに、「個人通算安打」は1位が宮本慎也の941本で、2位が若松勉の930本、続いて、3位・青木宣親910本、4位・古田敦也885本、5位・山田哲人722本(いずれも24年開幕時点)となっている。そして、「個人通算セーブ」はもちろん、ヤクルト黄金時代の不動のクローザー・髙津臣吾現監督の118個である。

 ここに名前の挙がった宮本、若松、青木、古田、山田、髙津……。歴代レジェンド全員にインタビューをさせてもらったことは、ライター冥利に尽きる喜びである。

 24年春――。

「今シーズン、ついに石川が単独神宮最多勝投手となり、同時に山田が神宮最多本塁打王となるのだ」と、私の鼻息は荒かった。

「神宮球場最多勝利タイ」——石川雅規

 石川が「神宮91勝目」を挙げたのは、22年6月19日、広島東洋カープ戦のことだった。もちろん、この試合も神宮で観戦した。翌20日、私は前夜の興奮冷めやらぬまま、当時無料配信していた個人メルマガで、こんな文章を配信した。

 さて、今朝のスポーツ新聞を読んで感慨深い思いになりました。今朝の日刊スポーツには「42歳石川 神宮最多タイ91勝」と見出しが打たれていました。そして、「神宮球場通算勝利5傑」も一覧で掲載されています。

松岡弘  91勝80敗

石川雅規 91勝72敗

尾花高夫 54勝64敗

石井一久 49勝29敗

安田猛  44勝33敗

 朝からしみじみしてしまいました。ここに並んだ5人の名投手たち。僕はいずれも、神宮球場でその雄姿を目撃しています。そして、この5投手にはいずれも、インタビューをしたことがあります。

 小学生の頃は、松岡、安田が頑張っていました。中学、高校の頃は尾花が一人で奮闘していました。この5人の中では唯一、黒星先行ですが、その内容は決して他の4人に劣るものではありませんでした。だって、ホントに打てなかったんだもの(涙)。あの頃の尾花、今思い出してもグッとくるなぁ。カッコよかったなぁ。

 そして、大学生になり、社会人になった頃は石井一久が本格派エースとして君臨していました。日本シリーズでの石井の存在感はハンパなかった。そして、21世紀の大エースは間違いなく石川雅規です。この20年以上、彼は神宮のマウンドを守り続けていたんだなぁと胸が熱くなります。

 僕はこれまで、伊藤智仁、館山昌平の本を書いてきました。両者が共通して言っていたのは「一時期だけ活躍した僕と違って、長年にわたって投げ続けているマサ(さん)の方が、どれだけ立派で大変なことか」ということでした。

 僕は松岡弘が大好きでした。191勝190敗で現役を引退したとき、「あと9勝だったのに……」と心の底から嘆きました。拙著『いつも、気づけば神宮に』でも書きましたが、このことについて聞いたときの松岡さんが本当にカッコよかった。

「みんな《191勝》のことを口にするけど、本当に僕が自慢できるのは《190敗》の方なんだよね。190敗もしたのに、それでも信頼して試合に使ってもらった。それはいちばんの自慢。巨人にいたら、こんなに負けたら使ってもらえないよ。でも、僕はヤクルトで190敗もしながら、それでも信頼して使ってもらった。それを自慢したい気分だね」

 ここ最近の石川の登板を見ているたびに、僕は松岡さんのこの言葉の意味を噛み締めています。近い将来、石川が「神宮球場歴代勝利」の単独1位に躍り出ることでしょう。僕はその日を楽しみにしつつ、改めて松岡、安田、尾花、石井一の雄姿を思い出したいと思います。

 みんないいピッチャーだったなぁ。他の4人の雄姿は、今では思い出の中でしか見られないけれども、唯一、石川だけがリアルタイムでこれからの活躍を目撃することができます。その幸せを改めて噛み締めながら、次回登板も期待して待ちたいと思います。

 ……残念ながら、この日以降、石川は神宮で勝ち星を挙げておらず、91勝のまま足踏みしている。23年シーズン、24年シーズンと、石川は神宮球場では1勝もできなかった。球界最年長選手となり、なかなか登板機会に恵まれなかったこともある。せっかく与えられたチャンスで結果を残せなかったこともある。

 24年シーズンも佳境にさしかかった夏の日、調整中の石川の話を聞くために、ヤクルトファームのある埼玉・戸田寮を訪ねた。

 石川は今、何を思っているのか? 石川にとって、神宮球場とはどんなところなのか?

人生の半分以上を過ごしている神宮球場

「こんにちは。暑い中、遠いところをわざわざどうもありがとうございます。まずは、これでも飲んでください」

 出迎えてくれた石川は、いつものように深々と頭を下げている。その手には、同席した編集者の分と私の分と2人分のヤクルト製品数種類が握られている。コーヒー、お茶、そして乳製品。それぞれ2本ずつだ。マスコミ陣の中で「気遣いの人」と呼ばれる所以がここにある。こんなに腰の低いプロ野球選手は見たことがない。しかも石川は「現役最年長」という肩書きを持つレジェンド選手なのである。

 まずは、青山学院大学時代から始まる「神宮のマウンド」について尋ねた。

「神宮球場って、プロ野球だけが使う球場じゃないですよね。昼間は大学野球があって、ナイターでプロ野球があって……。つまり、マウンドが一回使われた上で、もう一度試合がある。それはやっぱり独特ですよね。もちろん、球場の方々が必死に大学野球の後に整備をしてくれているんで別に問題はないんですけど、そういう意味では“他のプロ野球の球場とは違うな”という印象はありますね」

 昼間、大学野球が行われているときと、そうでないとき。そこには「明確な違いがある」と石川は言う。

「語弊がある言い方かもしれないですけど、確かに《使用感》はありますね(笑)。実際にマウンドに立ったときに、“あっ、今日は昼間に大学野球があったんだな”ってわかります。足の裏の感覚で、昼間の試合の熱さを感じることがあるんです。でも、僕はそれは気にならないですし、ヤクルトの他のピッチャーもそうじゃないですかね。ひょっとしたら、ビジターチームの投手は気になるのかもしれないですけど」

 石川がプロ入りしたのは02年のことだ。98~01年までは青山学院大学の投手として、やはり神宮球場を主戦場としていた。石川がこの球場を明確に意識したのが、大学入学の前年となる97年、秋田商業高校3年生のことだった。

「僕の小中学校の1個上の先輩が鎌田祐哉さんなんです。その鎌田さんが早稲田に入学して、早慶戦に登板しました。1年生ですでに神宮で投げている姿を、秋田からテレビで見ていました。“鎌田さん、すごいな”って思うと同時に、“学生野球でこんなに盛り上がるんだ”と驚きました。それと、青空に映えるブルーの観客席とグリーンの人工芝がとてもきれいで“いい球場だな”って見ていたことが印象に残っています」

 石川の言う「鎌田さん」とは、同郷の1学年上の先輩であり、石川にとって幼い頃からの憧れの存在である。鎌田は秋田経法大付属高校(現・ノースアジア大学名桜高校)から早稲田大学を経て、00年ドラフト2位でヤクルト入りしている。プロでも石川と鎌田はチームメイトになっているのだ。

 青山学院大学入学後、先輩たちの試合を応援するために、石川は初めて神宮球場を訪れた。まだベンチ入りメンバーには選ばれていない。観客席から先輩たちの雄姿を見守るのが、入学したばかりの1年生の役割だった。

 球場に着く。指定されたゲートから、応援席を目指す。薄暗いコンコースを歩き、スタンドに続く階段をゆっくりと上る。そして、一気に視界が開ける——。

「暗闇を抜けると、一気に明るく鮮やかな芝生が目に飛び込んできました。そのとき初めて、実感として、“何て見やすい球場なんだ、本当にきれいな球場だなぁ……”って感じました。その印象は強烈に残っています」

 この年の春、初めて神宮のマウンドに立った。まだまだ先発はおろか、1イニングを任せられるような投手ではなかった。

「このときは、左バッター相手にワンポイントで登板しました。高校3年の夏に甲子園球場で投げたことはあったけど、人工芝の球場は、このときが初めてでした。このときは“カッコいいなぁ”って、シンプルに感動していました(笑)」

 これが、「人生の半分以上を過ごしてきた」と、後に本人が語る石川と神宮球場マウンドとの出会いだった——。

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