神宮球場で最も勝った男、最も打った男(2)

明治神宮球場100周年、『神宮球場100年物語』その2・池山隆寛編
はせがわ 2026.01.05
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昨日につき続き、「神宮球場で最も勝った男、最も打った男」の続編です。昨日は、石川雅規投手についての言及でしたが、今回は「最も打った男」池山隆寛新監督編です。このインタビューをしたのが2024年秋のこと。ご承知の通り、2025年シーズン、山田哲人選手が、池山さんの記録を塗り替えます。

ここでは、記録更新の前の池山さんの心境を述べています。それを受けて、彼は今、どんなことを考えているのか? それは改めてインタビューで尋ねることができればいいなと考えています。それでは、「その2」をご覧ください。

***

ブンブン丸・池山隆寛に会いに行く

 また別のある日、再び埼玉・戸田に出向いた。

 ファームの試合が終わったばかりの池山隆寛二軍監督に話を聞くためだった。選手寮に戻り、まだユニフォームを着たままの状態でインタビューは始まった。

「えっ、僕が神宮でいちばんホームランを打っているの? 僕の場合、ヤクルトだけで19年間プレーしましたからね。でも、そろそろ抜かされるんじゃないですか?」

 取材意図を告げると、池山は言った。自身が神宮最多本塁打記録を持っていることは知らなかったという。後に神宮球場のバックスクリーンにホームランを連発し、「バックスクリーン男」と称されることになる池山が、初めて神宮球場でプレーしたのは彼が中学1年の頃だったという。

「中学1年のときに尼崎北リトルで関西代表となって、全国大会でも優勝して、そのときに神宮球場でも試合をしたんです。まだ天然芝の頃でしたね。プロになって神宮に戻ってきたときに、“あっ、人工芝になったんや”って思いました」

 83年ドラフト2位でヤクルト入りした池山は、「大型ショート」として、早くから嘱望されていたが、その才能が花開くのは87年に就任した関根潤三監督の下でだ。

「関根監督には本当にのびのびとやらせてもらいました。見逃し三振をすると“空振りしてこい”って怒られるんです。三振をして下を向いていても怒られた。関根さんには、“イケ、下を向くな!”って、いつも言われていました」

 関根監督就任後、広沢克己とともに「イケトラコンビ」として注目を集めた。

 当時高校生になっていた私は、池山の目の覚めるようなホームランに魅了された。関根監督最終年となる89年は、池山、広沢、そして外国人助っ人のラリー・パリッシュはいずれも100個以上もの三振を喫した。

 手元の記録を調べてみると、この年の池山はリーグトップとなる141個、広沢は125個、そしてパリッシュは129の三振を記録している。主軸3人で395個の三振だ!

 このとき私は浪人生活を過ごしながら神宮球場に通っていた。チームは4位に終わったけれど、それでも彼らの一発を見ているだけで気分が晴れた。三振を喫しても、「いいよ、いいよ、その調子」と、勝敗を度外視して楽しんでいた。いや、勝敗を気にしていたらストレスが溜まるだけだったから、知らず知らずのうちに自己防衛本能が働いていたのだろう。池山もまた、確かに三振は多かったけれど、「三振か、一発か」という豪快なプレーぶりは爽快だった。

 池山のホームラン、そして三振に私は勇気をもらっていたのだ。

「関根さんの前は、土橋(正幸)さんが監督で、広沢さんがいつも怒られ役で、僕はずいぶん助けられた。僕にとって、広沢さん、関根さんがいたことがすごく大きかった。それで、僕は育つことができた。一時期、なぜだかセンターバックスクリーンに集中的にホームランが出たことがあって、それでみんなから《ミスター・バックスクリーン》って呼んでもらうようになった。あれは、真ん中からアウトコース寄りのボールがほとんどでした。練習の成果だったんやと思いますね」

 池山の言葉は一つ一つが懐かしかった。僕にとって、土橋監督時代は中学生の頃で、関根監督は高校時代に当たる。あの当時の同級生の顔が浮かんでくるようだった。

 ——神宮球場で放った思い出の一発は?

 そんな質問を投げ泣けると、「いろいろあり過ぎて1本に絞り切れない」と言われた。そこで私は、どうしても池山に伝えたいことを切り出した。

神宮球場が最も熱く燃えた日

 45年間に及ぶ神宮球場観戦において、個人的に「最も神宮球場が満員になった日」が02年10月17日に行われた「池山隆寛引退試合」だ。詰めかけた観客は公称4万5000人と報じられている。もちろん、私もその中の1人だ。

 あの日の神宮球場は異様な光景だった。

 長年、この球場に通い続けているけれど、あの日ほど人でごった返していたことはなかった。コンコースはもちろん、スタンド通路にまで人があふれ、ビールの売り子も自由に行き来することができず、売店では弁当類も早々に売り切れていた。

 あの日、神宮球場からビール売りの姿が消えた——。

 そんな印象が、今でも強く残っている。通路に座り込んだ人々を避け、ようやくたどり着いたライトスタンドの最後方。二重三重に折り重なる頭と頭の間から、わずかに広がるグラウンドに目をやる。私も含めて、彼ら、彼女らはみな、池山の最後の姿を目に焼きつけようと、固唾を呑んでいた。

 あれだけ混んでいた神宮球場は、後にも先にもあの試合だけだった。

 それ以前にも、その後にも、神宮での優勝決定試合や大物選手の引退試合を観戦したことはあった。しかし、池山の引退試合以上の混雑ぶり、そして熱気は経験したことがない。だから、実際の観客動員数とは別に「個人的最多動員試合」は間違いなく、池山の現役最終戦なのである。

「あの前日、青柳(進)の引退試合やったんです。あの日、“あぁ、明日で自分も引退か……。一体、どれだけお客さんが来てくれるんかな?”って思ったことを覚えています」

 池山の言葉にあるように、その前日は青柳が現役最後の試合に出場した。千葉ロッテマリーンズから移籍した青柳の引退試合は、かなり空席が目立っていた。

「そして次の日、自宅から神宮球場に向かいました。この日はテレビ局のカメラが密着していて、僕の横にはテレビ局の人もいました。やがて、神宮球場が近づいてくる。球場周辺には、ものすごい行列ができていました……」

 この言葉を聞いて、あの日の光景が鮮やかによみがえる。

あの日、試合開始数時間前から神宮球場は数えきれないほどの大群衆で埋め尽くされていた。会場待ちの列は二重、三重に折り重なって球場外周を取り囲んでいた。

「身体はもういっぱい、いっぱいで、全身が悲鳴を上げていました。でも、“自分のために、こんなに多くの人が集まってくれているんだ”ということが嬉しかった。足も全然動かなくて、どこまでできるかは不安だったけど、精一杯やろう。そんな思いでした」

 この日、池山は全盛時と同じ「三番・ショート」でスタメン起用された。久しぶりに池山が神宮のショートに就く。池山が右打席に入る。そのたびにスタンドからは悲鳴のような声援が飛んだ。

 試合中から彼は泣いていた。そして、観客もまた泣いていた。

 8回の第4打席で放った左中間を破るツーベース。一塁を回るときから右脚をひきずり、ようやくたどり着いたセカンドベース上で膝をさする姿。あるいは、延長10回表、広島・新井貴浩の打球を身を挺して好捕する姿。それは、脚が万全の状態なら、正面に回りこんで難なく捕れた当たりだった。こうした彼の最後の雄姿に、観客はますます胸を熱くする。

「新井のライナー、あれでふくらはぎが完全にダメになってしまいました。痛み止めの効果も切れてきて、もう本当に限界でした」

 この日の見せ場は試合最終盤に訪れた。

 広島の1点リードで迎えた延長10回裏。ランナーが一人出ればもう一度、池山に回る。一死後、飯田哲也はセーフティバントを試みると、気迫溢れるヘッドスライディングでファーストに生きた。続くバッターは稲葉篤紀だ。観客の誰もが思っていたはずだ。

(ゲッツーにはなるなよ。とにかく池山に回せ!)

そして、こうも思っていたはずだ。

(サヨナラホームランなんて打つなよ。とにかく池山に回せ!)

 このとき、稲葉の選んだ策が、飯田に続くセーフティバントだった。ボールを転がしさえすれば、犠牲バントになる可能性は高い。必死になって一塁を目指す稲葉。彼もまたヘッドスライディングを試みる。セーフにはならなかったものの、何とか一塁に生きようとするその心意気は4万5000の観客の胸にしっかりと届いた。池山が振り返る。

「みんなの気持ちは痛いほどよく伝わりましたよ。“いい後輩に恵まれたな、先輩でよかったな”って思っていましたね(笑)」

 こうして迎えた、池山の現役最終打席。球場の盛り上がりは最高潮を迎えていた。一球目は空振り。続く二球目。もう右脚の踏ん張りが利かないのか、態勢を崩して倒れこむ渾身の空振りだった。

 そして、最後の一球。堂々と直球を投じる広島・長谷川昌幸。同じく渾身の、そして豪快なスイングを繰り出す池山。三球勝負、スイング・アウト。通算1440個目の三振となった。これは、世界の王貞治をも上回る記録だ。

 かつての代名詞「ブンブン丸」。その名に恥じない見事なスイングだった。

石川雅規、池山隆寛が語る神宮球場

 神宮球場で最も勝利を挙げている石川、そして最もホームランを打っている池山に話を聞いた。両者にそれぞれ、「神宮再開発」について尋ねた。

「その頃、僕は52歳? まずは生きていたいですね(笑)」

 開口一番、石川は言った。

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