短期連載・さらば、髙津臣吾監督!(1)

2025年ペナントレースが終わりました。過ぎ去ってしまえばあっという間ではありますが、今年は例年にも増していろいろなことがあり、さまざまな感情の起伏がありました。そして、在任6年の髙津臣吾監督もユニフォームを脱ぐことが決まりました。
そこで今回からしばらくの間、「さらば、髙津臣吾監督!」と題して、短期連載を配信したいと思います。初めての試みとなりますが、どうぞおつき合いのほどよろしくお願いいたします。
コロナ禍に揺れる2020年に就任した髙津臣吾監督も、在任6年を経て、チームを去ることが決まりました。このニュースレターでこれまで何度も紹介してきたように、僕はこの6年間毎月、髙津監督にインタビューをしてきました。
2020年は、新型コロナウイルスの蔓延により、開幕が延期されました。そして、6月19日、無観客での開幕という非常事態下で、最初のインタビューが行われました。そのときには、こんなやり取りをしています。
――このたびの騒動により、開幕が当初の予定よりも3カ月も遅れることとなりました。ようやく開幕にこぎつけましたが、現在の心境はいかがですか?
高津 3月の時点で、「開幕延期です」ってなったときに、チーム自体を休止しました。あの頃のことを考えると、この1カ月間で自主練が始まり、チーム練習が始まり、5月末で紅白戦をやり、今月頭から練習試合が始まったり、一気にいろいろなことが進んだ気がします。結果的に3カ月は遅れましたけど、気持ち的には再び盛り上がってきているところですね。
なんだかずいぶん昔の出来事のようにも思えるし、つい最近の出来事のようにも感じられます。この年の外国人選手はA・エスコバー選手でしたね。まだ長岡秀樹選手はルーキーでした。
ちなみにエスコバー選手は、わずか1本塁打でこの年限りでチームを去っていますが、僕はその1本を小雨交じりの甲子園球場で見ていることが小さな自慢です。以前、監督にそのことを言ったら、「いいものを見ましたね。さすがです」と褒められました(笑)。ヘルメットの内側の汗を自分のひじでグリグリと拭いていた姿が懐かしいです。
この初回インタビューでは、前年までの二軍監督時代についても尋ねています。以下、そのやり取りを引用します。
――「育成」と「勝敗」という二律背反の中で、二軍監督時代には「負けてもいい」と明言されていました。この点について、監督ご自身の中での考えの変化はありますか?
高津 昨年までの3年間で、投手では高橋奎二、梅野雄吾、寺島成輝、野手では村上宗隆、濱田太貴ら、勝敗を度外視した起用法をしたこともありました。体調は万全なのに、あえて試合で使わなかったこともありました。もちろん、一軍ではそんな起用法はできないです。でも、いま名前が挙がった選手たちは、一軍でプレーするようになっても、本当の中心選手になるまではまだずっと育成選手だと、僕は勝手に思っています。
ここで名前が挙がっているのは、投手では「高橋奎二、梅野雄吾、寺島成輝」、野手では「村上宗隆、濱田太貴」です。梅野選手は中日へ、寺島選手はすでに第二の人生を歩んでいます。高橋、村上、濱田選手は、言ってみれば「髙津チルドレン」と言えるかもしれません。
この年は結局、最下位に終わります。ちなみに、先日のインタビューで「6年間でもっとも印象に残っている試合は?」と尋ねたところ、優勝決定試合とは別に、監督は2020年のある試合を挙げています。それがどの試合だったのか、ぜひ推理してみてください。以下、2020年の連載リンクです。お時間のある時にでもぜひ、ご覧ください。
さて、髙津監督の在任6年間を、僕は3期に分けて考えています。
1期.2020年……………屈辱の最下位
2期.2021~2022年……優勝、日本一、連覇
3期.2023~2025年……3年連続Bクラス
2期目の栄光がまばゆすぎたからこそ、ここ数年の3期の悔しさ、ふがいなさ、情けなさもより際立つこととなりました。
さて、前置きが長くなりましたが、連載初回となる今回は「第1期・屈辱の最下位」に、髙津監督が考えていたことについて述べたいと思います。
この年の連載第2回のタイトルは、《不動の4番・村上宗隆に求めるもの 「本当の4番」に成長してほしい》となっています。就任1年目の時点で、「村上育成プラン」をすでに掲げていました。例えばこの頃、監督はこんな言葉を残しています。